1.7 白い封筒

 東京の冷たい冬の朝、いつもの通勤路を歩いていた。息が白くなるほどの冷え込みで、都心には珍しく雪が積もっている。
歩道を進む中、背後から「美香さん、おはようございます!」と声がした。振り返ると、田中くんが、いつもの陽気な笑顔で近づいてきた。
「おはよう、田中くん。最近、よく一緒になるね。」
「えっ、そうですか、たまたま、たまたまですよ。実家どうでした?」
「魚は美味しいし良かったわ。おばあちゃん元気だったんだけど。。。」決心したことを言おうか迷っていると、
「いいなあ。札幌は。実は、北海道に行ったことがないんです。だから、美香さんの話を聞くと、すごく行ってみたくなります。」
「え、本当に?それなら、ぜひ行くべきよ。美しい景色、おいしい食べ物、温泉…本当にいいところよ。」
「そう言われると、ますます行きたくなりますね。今度行く機会があれば、おすすめの場所とか教えてもらえますか?」
「もちろん、喜んで!」

 オフィスに着くと、社員たちはマフラーやコートを脱ぎ、朝の第一の仕事に取り掛かっていた。キーボードの打鍵音、そして打ち合わせの会話が耳に入る。私の心には大きな決断の重さがのしかかっていた。
深呼吸しながら席に座る。いつ切り出そうか。鈴木課長の方を見ると日課のコーヒーを飲みながらバームクーヘンを手にしている。
「美香さん、それって?」田中くんがデスクの上にある白い封筒に気付いた。
「うん、あとで話すね。」私は、手に持った白い封筒を握りしめながら鈴木課長のデスクへと歩みを進める。
デスクに近づくにつれ、周りのざわめきやマシンの音が遠のいていくように感じられた。自分の心臓の音だけが響く。そして、課長のデスクの前で足を止めた。
鈴木課長が気づいて、
「おはよう美香さん、帰省どうでした。」
「そのことで、少し、お時間いただけますか?」と、勇気を振り絞って話し始めた。
「実は、家の事情で札幌に戻ることを考えています。これ、辞表です。」
鈴木課長は父親のような優しい目で私を見つめ、しばらくの沈黙の後、頷き、封筒を手に取った。
「そうか。札幌に。仕事はどうするの?」
「まだ、考えていなくて。」
「それなら、辞めずにリモートワークはどうだい。」
「えっ、東京と札幌でですか?」
「前に大阪のクライアントをリモートで担当していたことがあっただろう。他にもいくつかの案件をリモートでこなしているし、大丈夫だろう。」
「おばあさん想いの美香さんのことだから、札幌に戻るんじゃないかと思ってね、田中くんから提案があって人事部長と話したんだ。」
涙がこみ上げてくるのを感じながら、私は「田中くん…ありがとう」と田中くんの方を向いた。
彼はにっこりと笑って「僕も北海道に行きたいし、美香さんの力になりたかったんです」と答えた。
鈴木課長が温かく二人を見守りながら「それでは、札幌での新しいスタートを、会社全体で応援しよう。」

 私は涙を拭いながら、心からの感謝の言葉を口にした。
「鈴木課長、田中くん、ありがとうございます。」